好きな友達をコレクションして小さな村を作り、日常を眺める。あるときは喧嘩し、傷つき、少しすると協力して、感情を共有し…、微笑ましい世界に完結する。これはゲームの中の話であり、現実はそうは行かない。喧嘩しっぱなし、お願いしっぱなし、ぱっぱらぱなしで完結しないことがあれば、強制的に完結させる手段として断ることも断られることも多分にある。
断り方には人となりと関係性が見える。長く付き合った友人であれば多少雑であっても愛が見えるし、そこまででもない友人であれば少しの神経と引き換えに、それなりの文字数を生成して伝えることになるだろう。その場限りの相手であれば力技でねじ伏せることもあるが、こうした相手の場合にこそ、自分が第三者にとってどう映りたいか、を意識するには絶好のチャンスとなる。特に街中の客引きに対しては「既に決まっている」ことを知らせると通ぶれる。飲み屋、展示、ジムや古着屋…選挙期間中にも効果的かもしれない。もう自分の意志は決まっているよ、これを伝えることが断る上では大事である。
ビジネスになってくると、スーツに似合うような断り文句が定型化されている。受け手としても目が滑りやすいようにこの定型文は記号化され、水に流しやすく、次のステップに進むことができるような作りになっている。なにか自分ではどうにもならないような理由があるからという、まるでホログラムでできた壁を用意し、しかしながらかすかに蜘蛛の糸ほどの将来への希望が見える、そんな断りっぷりである。ビジネスとなると、それぞれが背負っているものの大きさゆえに無碍にはできない。逆に言うと煮えきらない答えこそが望ましい場合もある。
時折、自分がゲームの中にいるような、あるいは第三者の視点になったような俯瞰的な浮遊感を得ることがある。スポーツでもやっていれば稀代のゲームメーカーにでもなれたかもしれないが、俯瞰してみると自分なりの断り方も洗練されてくる。断ることで、周りがどのように波風が立つかを予測するよう意識できるようになり、一貫した自分の印象を形成することもできるのだ。断ることは意思表示の機会であり、人物像の側面を固める作業でもある。断り方をいくつも知ること、使えるようになること、そしてその効果を測ること、これらができると、幾分、心も傷まなくなるのだろう。たぶんね。